人は見かけによるか?

昨晩は、まさかの充電切れで、せっかく打った文章が全部保存されずに、サイトが閉じちゃうという悲劇に見舞われました(^-^;

「〇〇は明日!」と言いながら1日順延しただけでもハードルは上がり、その上、酔いに任せての戯言とは言え、「これまでで一番の出来だった」と書いたことによって、今晩のブログの注目度は抜群!?(まあ、元々、それほどの注目度ではありませんが)

やはり、私にはMっ気があるようです。自分で自分を追い込むって意味で。

さて、一昨日の「ラベリング=レッテルを貼ること」は、私流に言うと、「相手のバックグラウンド(どういった家柄か等)や経歴(官僚出身である等)から相手を自分の理解できるカテゴリーに当てはめ、又は理解不能として遠ざけて、安住する行為」ですが、「人を見かけで判断すること」は、似て非なるものだと思います。

「見かけで判断すること」は、第一印象で判断することで、まだ相手のバックグラウンドや経歴が分かっていない時点で咄嗟に感じたことです。ファーストコンタクトでの印象と言ってもいいと思います。「こいつ、やばい!」と感じたなら、それは、ある種の防衛本能の発動とも言えると思います。

「彼は、元々官僚出身だからね」というラベリングも、「こういう服装の奴は・・・」という見かけでの判断も、相手を自分の判断基準に勝手に当てはめると言う意味では、似た面もないではないですが、ラベリングは、自分よりも凄い(かもしれない)人間を理解できる形にまとめ、又は遠ざけて自分を優位に立たせようという打算が働いている気がしますが、「見かけ」は、一種の感覚の問題、本能的な問題だと思います。そして、この本能的な直観って、結構馬鹿にできないと思うのです。

話はちょっと逸れますが、前にお世話になった職質技能指導官も、注目するのは「周りに溶け込んでいない、不自然な動きや服装」と言っていましたが、確かに、突飛な服装をしたり、(男性で)ピアスをしたりする人は、特に日本においては、「個性」ではなく、やはりちょっと変な人だと思います。

我々が中学の頃、「心の乱れが服装に現れる」と、服装指導もされましたが、それも真実だと思います。さっきから服装ばっかり言ってますが、髪形も、さらには顔の表情も大事な「見かけ」の要素だと思います。「こいつ、胡散臭い」とか、「ああ、こいつ輩だ!」とかって感じることあるじゃないですか!

繰り返しになりますが、そういう防衛本能的な判断は、身を守るために大事です。

あんまりしつこく「見かけ」を強調していると、「でも、一見チンピラ風の人がお年寄りに席を譲ったりしていたのを見たことがある」といった例を出して、「人は見かけだけで判断しちゃいけない」と反論する人が出てきますが、まさにそのこと自体、見かけで判断している証拠です。

だって、普通の人が席を譲っていても気にも留めないが、輩風が席を譲っていたから気に留めただけですからね。その輩風の方が他の人より優れていた訳では全然なく、たまたま「おばあちゃん子だった」だけかもしれません。そういう輩は、お年寄りに優しい訳がない、というのはまさにラベリングですが、パッと見て、「輩?」と感じた感覚は大事にしてもいいと思いますよ。

もちろん、「わざと」そういう感じにしている人もいないではないです。例えば、かく言う私も、実は気が弱いし、幼く見えるので、少しでも強く、そして、歳くって見えるように、(そっち系を担当したのを機に、)20年以上オールバックをしてきましたが、見かけで判断してもらえてだいぶ助かりました(笑)。他にも、麻薬取締官が、売人のような風体をしたり、といったように、「わざと」そういう見かけにしている人はいますかが、(私も含め)そういう風に見てもらいたいのですから、やはり見かけで判断してあげて下さい(笑)。

ところで、私は、小学、中学と転校が多かった(小学校も中学校も3つずつ)こともあり、誰とでも仲良くなろうという傾向が強いのですが、お世話になっている方に、「やっぴーは、差別しないのはいいけど、区別はした方がいい」とよく注意されます。確かに、第一印象で、何となく「胡散臭い」と感じた人間に裏切られたり、利用されかけたりしたことが多い気がします。

ここまで書いてきて、ほろ酔い状態で書いていた昨晩の方がはるかにまとまった文章を書いていた気がするのは気のせいかなあ?と頭を掻いていますが・・・

強引にまとめると・・・

「見かけによる判断」は自分の直観的な防衛本能なので、ないがしろにはせず大事にした方が良い。そして、相手と付き合うこととなり、相手の経歴等が分かってきても、その後からの情報にばかり振り回されない(レッテルを貼って、思考を停止させない)のが大事だ

という感じでしょうか。伝わりましたでしょうか?